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神泉苑は京都屈指のパワースポット!善女龍王様の御利益とは

神泉苑にて空海が9日間の請雨祈祷!

 

824年天下に干害が続き、疫病も流行し、人々が困り果てていました。

 

干ばつが続いていた当時、淳和天皇(じゅんなてんのう)から東寺の空海と西寺の守敏(しゅびん)に「なんとか雨を降らせてくれ!」との命令が出されました。

 

淳和天皇からの命令以前から何事に対しても対立していた空海と守敏。

 

この時の「雨乞い祈祷」が東寺の空海と西寺の守敏との天下分け目、歴史に残る大勝負となるわけであります。

 

先行は、守敏、七日間の雨乞いを行うも干害を修復させるだけの雨を降らすことは出来ず。

 

そのあと神泉苑にて空海は九日間の祈祷の後、たちまちにして大雨が降り、天下を潤したといいます。

 

その後、西寺が衰退していった事は有名ですよね。

(西寺 金堂、講堂跡:唐橋西寺公園)
もちろん雨乞い勝負に負けたから衰退したのではないのですが、衰退する要因の一つであることには間違いないのであります。

 

想像となりますが、支援者が多い東寺と誰も支援しなくなった西寺、そして歴史の流れの中、予算の関係でしょうか全国にある官寺の多くは廃寺となり、西寺もまた例外ではなく消滅していったのでございます。

 

下記は西寺の五重塔跡の発掘現場であります。
場所は、唐橋西寺公園より南西、歩いてすぐの場所。
撮影時期は、2019年11月3日

 

ここは古い住宅が立ち並ぶ一角。
今から1200年前には、目の前にそびえ建つ西寺の五重塔があったのかと思うと、「もったいない・・」と、感じたのであります。

 

話を西寺衰退から空海と守敏の雨乞いに戻します。

 

九日間の祈祷の後、大雨を降らせた東寺の空海。

 

この出来事には諸説ありますが、善女龍王(ぜんにょりゅうおう)様のお力との言い伝えがあります。

 

ここ神泉苑には、弘法大師空海によってご勧請された善女龍王社を神泉苑の中央に祀られ、1200年経った現在も善女龍王様は神泉苑の池の中にいらっしゃるとの事であります。

 

863年に大流行した疫病の鎮圧を祈祷したのもここ、神泉苑でした。

 

【神泉苑パワースポット】
善女龍王様の御利益
一つだけ願い事がかなえられる橋
法成橋(ほうじょうばし)

 

神泉苑の前から善女龍王社に向かって、アーチ状の朱色の法成橋(ほうじょうばし)を渡る時にお守りを持って願い事を心で念じる。

 

そして法成橋を渡りきったら善女龍王社にお詣りする。

 

帰りは、法成橋を逆行してはなりません。

 

これで願い事が一つ叶えられると言われております。

 

やはりここ神泉苑は、龍神様がお力をお貸しくださる数あるパワースポットの一つなのは確かであります。

 

池には、鴨やアヒルがおり、ご近所の人々から餌をもらったりしている風景は、なんとものどかであります。

 

石川県七尾美術館に善女龍王図がございます。
>>善女龍王図

 

当時、平安京で水を湛えた本格的な池があるのは神泉苑だけでした。
現在は、縮小された池も当時は現在の8倍あったそうです。

 

遠い昔のお話、日本列島がアジア大陸から分離したのが約1万年前、その前後に京都は現在のような地形になったといわれております。

 

信じられませんが、それまで京都は湖の底にあり、現在は山である場所が、かつて人々が住む適地だったそうです。

 

洛北の深泥池(みどろがいけ)は、湖の底にあったくぼみに水が残ったもの。
>>深泥池

 

現在は干拓で消滅してしまった巨椋池(おぐらいけ)【1941年干拓終了】もその一部。
>>巨椋池干拓へ

 

神泉苑の池も湖底に残った池を利用してつくられたそうであります。

 

平安時代には池の大きさは少なくとも現在の8倍あったと言うのですから龍神様が住まわれるのに十分な大きさだったのであります。

(京都一筆龍:昇運紅葉双龍)

 

当時、干害が平安京の街を襲ったとき、神泉苑の門が解放され、市民が水を汲むことを許され、その名を広く知られるようになったのであります。

 

京都にお越しの際は、ぜひ現在も池の中におられると言う善女龍王(ぜんにょりゅうおう)様をご参拝されてははいかがでしょうか。

 

今は小さくなってしまった神泉苑も1200年前には大きな池だったのであります。

 

いにしえの平安京を感じながら眺めてみるのも良いものであります。