消えてしまった平安京!東寺の構内はタイムカプセル!

現存する平安京の空間!東寺!

 

京都の南に位置する東寺は、現在も唯一現存する平安時代の空間!
現在の平安京の地図を作成するのに基準となっているのが、東寺の南大門です。

 

この南大門の中心線を基準線として朱雀大路や羅城門の位置を割り出しているのだそうです。
平安京の造営は桓武天皇により794年、大内裏(だいだいり)から建設が始まりました。

 

それから2年後に東寺と西寺の造営が始まり、東寺の総指揮には大納言藤原伊勢人(だいなごんふじわらいせんど)、西寺の総指揮には坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が任命されました。

 

東寺の敷地は東西に約255m、南北に約515mの敷地に金堂、講堂、食堂、五重塔、その他諸堂が立ち並んでいました。
東寺の建造に最初に建てられたのが金堂(こんどう)でした。この金堂を建てるだけで、ナント約27年もかかったらしいです。

 

これは当時の建設技術の問題だけではなく、平城京から長岡京への遷都、わずか10年で長岡京から平安京に遷都してきた事が後々財政をかなり圧迫していたようです。
国営であった東寺と西寺の造営にもかなりの影響を与えたのではないでしょうか。

 

歴史上の建造物が次々と消えていく中、1200年以上もの長い年月を東寺はどうして現在まで姿を変えずに残ったのでしょうか?
同じ時期に造営された西寺はなぜ消えてしまったのでしょうか?それは、唐から真言密教を持ち帰った空海(遣唐使)との出会いが、その後の東寺と西寺の明暗を分けていきました。
823年、嵯峨天皇は東寺を空海に一任。その後、官寺としての性格を残しながら、真言宗の中心寺院として栄えていくことになります。

日本最古の都七福神まいり!ここから全国に拡がっていった!

>>日本最古の都七福神まいり



>>あなたの守護神は?八体のご本尊様に守られている!


>>【京都のおせち】お取り寄せ!失敗しない早割京おせち



京都の東寺の見どころ記事一覧

 

東寺造営に着手後、五重塔は完成まで81年!修復再建…落雷で炎上する五重の塔!当時、五重塔に使用する材木を東山で調達しました。現在と違いトラックや伐採する機械はない時代に巨木を伐採して東山から東寺まで運ぶのはもの凄い重労働です。そこで、朝廷や役所関係に協力を仰いだところ、2400人以上の人夫の動員を得る事ができ、20本近い巨木が東寺に運ばれたそうです。ただここで、ひとつの事件がおきました。東山より運...

 
 

応仁の乱は11年間、都を戦場にした!それでも東寺は戦火をまぬがれていた!応仁の乱が11年続きましたが、東寺は戦火をまぬがれていました。しかし、応仁の乱が終息した後も山城の国ではまだ戦いは終わっていませんでした。この山城の国一揆集が東寺に集結。一揆に対抗して幕府も兵をもって鎮圧に乗り出しました。兵は農民を追い、農民は散り散りになって東寺に逃げ込んだのだそうです。農民たちが軍兵に勝てるはずもなく、追い...

 
 

天下分け目の決戦!足利尊氏が退却! 門前から新田義貞軍の矢の嵐!鎌倉幕府滅亡後(1333年)後醍醐天皇の新政策、建武の新政(けんむのしんせい)に不満を抱いた足利尊氏(あしかがたかうじ)が、反旗をひるがえした。後醍醐天皇は比叡山に本陣をおき、足利尊氏は東寺に本陣をおきました。後醍醐天皇側につく新田義貞ひきいる宮方が攻撃にでた。足利軍もこれに応戦、各所で激戦が繰り広げられました。結果は比叡山という山を...

 
 

空海の住まい御影堂!空海が最後に出た門が蓮花門!空海は晩年、生活のほとんどの時間を密教の道場である東寺の建設と、修行の道場である高野山の建設に費しました。この為、東寺と高野山を往復する事が多くなり、蓮花門から高野山に出発したといわれています。空海は高野山までの道のり約80キロを3日〜5日間で歩いたのだそうです。現在では考えられませんが、本当に3日〜5日程度で歩けたのでしょうか?当時は靴はなく、わら...

 
 

空海が講堂に作った!立体曼荼羅!「曼荼羅を彫刻したらどうなるのだろう?」講堂に安置されている二十一尊の仏像はこの発送から生まれたのだそうです。曼荼羅を立体化したものを「羯磨曼荼羅」(かつままんだら)というのだそうです。空海は東寺の講堂に日本で初めての羯磨曼荼羅を誕生させました。羯磨曼荼羅は通称「立体曼荼羅」(りったいまんだら)とよばれています。立体曼荼羅は中央の五尊の如来グループ、向かって右の東方...

 
 

密教の奥義を求め!唐に向かう決意をする空海!全ては、ここからはじまる!空海の人生において唐に渡れるチャンスは1回だけでした。空海の乗った遣唐使船は第十六次船で、16年ぶりの派遣でした。つぎの第十七次船が出航するのは、なんと34年後のこととなり、この時すでに、空海はこの世にはいませんでした…空海の人生において唐に渡れたチャンスはこの1回だけ!空海のときに派遣された遣唐使船は、わずか4船、うち2船が唐...

 
 

空海の命日にちなむ弘法市!毎月21日に弘法市は開かれる。「弘法さん」の名で親しまれる東寺の縁日。弘法大使空海の命日にちなみ、毎月21日に東寺境内で開かれます。1月21日は「初弘法」、12月21日を「終い弘法」と呼び、特ににぎわいます。骨董、雑貨、古着など1000店を超える露店がにぎやかに軒を連ねて、京都市内外から多くの人々が集います。南北朝時代(1336年〜1392年)庶民のあいだで、喫茶の風習が...