平安京の台所東市と西市
東西それぞれ数十件の店が立ち並ぶ東市と西市
(錦市場)
東西の市は官営で市司(いちのつかさ)が管理をし、毎月15日までは東市が、16日以降は西市が開かれていたそうです。
両市とも、専売品が決められていて、西市外町の発掘調査では、外町内の細かな区割りを示す溝をはじめ、市の活発な活動を示す9世紀初頭の荷札や土器など多くの遺構、遺物などが発見されております。
西市
西市は現在の西大路七条の北東あたりにありました。
現在の西市近辺
(七条御前より北西)
(西大路七条より北東)
西市は湿潤地に作られたこともあり、早くから衰退してしまいました。
現在のような人工的に環境を作る事ができれば別ですが、当時の家づくりには場所選びがかなり大事だったとも言えます。
西市は地勢の悪い低湿地に設置されたこともあって、早くも10世紀には衰退し始め、東市の役割が大きくなっていきました。
これに伴い規制が次第に弱まっていき、市の運営も官営から市人中心へと移り変わっていくのであります。
東市
東市は現在の七条猪熊の北から西本願寺の地にかけてありました。
現在の東市近辺
(七条大宮付近)
(西本願寺)
(西本願寺前)
さまざまな階層の人々がこの東市で物資を取引し、生活に必要なものはここで揃えていました。
現在、東市であった場所には住宅、西本願寺、龍谷大学、平安高校等が建っております。
西本願寺は、1591年豊臣秀吉より寄進を受け、現在に至ります。
この頃、他に民間市場は認められず、官営の東市、西市しかありませんでした。
北部からの買い付けは結構大変だったことが考えられます。
平安京の羅城門から朱雀門まで約4キロですから北部の方から東市と西市に買い物に行くのも時間が掛かりますよね。
当時は、車も自転車もなく徒歩で持ち帰るか牛か馬かに乗せて持ち帰るのか?
北から南に下がっている地形を考えると北への帰り道は、ゆるい登り坂。
買い物一つで大仕事だったことが想像できます。
西市衰退後、東市は栄えましたが、時代が進むにつれて次第に三条町、四条町、七条町などから自然に発生した民間の市場に人々の流れが移っていったのでございます。
衰退してしまった右京でしたが、現在西市だった場所の東では、京都市民の食卓には欠かせない京都市中央卸売場市場第一市場があり2020年にはここに「賑わいゾーン」」としてホテルと商業施設を組み合わせた複合施設が完成しております。
ここの1階に大きな店舗を構えたのは、私も幼少のころから食べている弘法さんの日と、前後の3日間しか販売していない「どら焼き」を作っている笹屋伊織が店舗を出しております。
>>笹屋伊織
そして西側には、おいしい洋食屋さんの「ぱ・らんて」
現在2階で営業されております。
東市と西市の中間部分には「梅小路公園」が設けられ、京都水族館に京都鉄道博物館等々、休日にはたくさんの人達で賑わいます。
>>京都 梅小路公園
京都水族館
京都鉄道博物館
最近できた施設は、北の入り口から入ってすぐのところに「屋外スケートリンク場」とその横には「スターバックス」も設けられております。
屋外スケートリンク場
>>VIVAスクエア京都
スターバックス
>>ビバスクエア京都 梅小路公園店
梅小路京都西駅
2019年3月16日には、梅小路京都西駅が開業し、交通便もよくなりました。
遠い昔、水はけが悪くて衰退してしまった西市の面影は全くなく、人が集まる賑やかな空間へと変わっていったのでございます。