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滅亡した幻の官寺西寺

西寺跡

 

かつて西寺は、東西約250m。南北約510mの範囲を誇る平安京に2ヶ所しかない官寺の一つでした。

 

当時の西寺の代表は、守敏大徳(しゅびんだいとく)という、空海より上席の僧が務めておりました。

 

この唐橋西寺公園は中央が少し山のように盛り上がっており「コンド山」と言います。
かつてその場所には、西寺の講堂が建っておりました。

 

現在その場所には「史跡 西寺跡」と刻まれた石碑が立っており、その横には講堂の礎石(そせき)らしきものが2個無造作に放置されてあります。

 

東の東寺と左右反対の形状で作られた西の西寺でありましたが、2020年の発掘調査によると西寺の講堂の大きさは、東寺の大きさより一回り小さかったことが判明したという事です。

 

それまで東寺と西寺は左右対称の規模だと考えられていましたが、どうやら違うことが裏付けられた結果になったようです。

 

東寺を任されていた空海が建築途中で設計変更を行ったという事ですが、ほんとかどうかはわかりません。

 

途中で大きくするとなると微妙に柱の位置もずれてきたりしますからね。

 

現在、西寺があったとされる場所は、公園、小学校、一部民家となっています。

 

唐橋西寺公園より南西に2019年五重塔の発掘調査が行われました。
撮影時期は、2019年11月3日

 

990年に原因不明の出火により、金堂、講堂、食堂、諸仏、経典も全て焼失して灰になり、五重塔だけが残りました。

 

その後1233年に五重塔も焼失してしまい、以後、再建される事はありませんでした。