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明治以前は十山で行われていた送り火
平安時代の闇を彩る五山の送り火
西から、『鳥居形』『左大文字』『船形』『妙法』『大文字』、起源は諸説があり、平安初期、大文字山麓の寺の大火で阿弥陀仏(あみだぶつ)が飛翔して空に光明を放ったことから、弘法大使空海がそれを模倣し、火を用いる儀式として行ったとされる説があります。
現在は五山ですが、明治以前には、十山で行われていたのだそうです。
江戸後期,【い】市原野,【一】鳴滝,【竹の先に鈴】西山,【蛇】北嵯峨,【長刀】観空寺村も点火されていましたが,【竹の先に鈴】西山が、大正後期に確認されたのを最後に現在、この五山は無くなってしまった。
五山の送り火は、地域住民と保存会が基本的には実施しているため、大筋の場所がわかれば、なにがしかの資料が出てきそうな感じもしますが、詳しいことは解明されておりません。
毎年8月16日、夜8時、『大文字』が最初に点火され、次々と山々の送り火が燃え上がり、去りゆく京の夏の夜を雅に彩ります。
鳥居形
『鳥居形』曼荼羅山、弘法大使空海が石仏1000体を刻み開眼供養の時の点火が期限とされています。
左大文字
『左大文字』大北山、京都御所より見て左にあるので左大文字と名付けられました。
船形
『船形』船山、円仁(慈覚大使(じかくたいし))が唐から無事に帰国できたことにちなみ、その船をかたどっている。
妙法
『妙法』妙が万灯籠山、法が大黒天山、妙は鎌倉時代初期に、法は江戸時代初期に始まりました。
大文字
『大文字』如意ヶ獄(にょいがたけ)弘法大使空海が始められたという、現在も山頂の弘法大使堂で読経をあげてから点火されています。